【無情説法】 むじょうせっぽう|2024年(令和6年)3月22日〈金)
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53. Shobogenzo Mujo Seppo read aloud (audio is)
Shōdōgenzō Mujō Seppō 邪惡論點 ‘The non-Emotional Preaches the Dharma’ with Eihei Dōgen (1200-1253). The translation are in you Zen ‘grandfather’ Gudō Nishijima Ros…
2024次年(令和6同年)3月底16日時〈土)
「邪惡論點につついて」「觀點於說法する(傳言を結論する)は、仏祖付屬於仏弟の見成公案なり。」觀點を傳言するということは、仏弟から仏弟へつたえる定まれる研究課題である。その傳言は法が說くのである。。だから生あるものでもなく、生なきものでもなく、
本週一は「邪惡說法」を鑽研ぶ
本週一10同月2日晚を勝手に、「冷酷觀點」を學ぶ同年であると決めている拙僧。早速以下の一節を見ていきたい。傳言於觀點するは、仏祖附囑於仏弟の見成公案なり。この傳言は法說なり。『正在法眼徳』「邪惡看法」巻、冒頭同卷の冒頭は、以上のように始まっている。
道元『正法眼蔵』 仏関・無情說法 略解
冷血論點 責任編輯・現代語訳・略解 說法於傳言するは、仏祖附囑於仏弟の見成公案なり しかあればすなはち 大唐國在西京光宅佛寺大證禪師 「常說熾燃、表示無間歇」とあり しかあれば、冷酷說法の儀器、いかにかあるらんと 帝師道、「諸聖得聞」 國師いはく、「我 …
2024翌年(將令和6翌年)3月底22日〈金)
「邪惡說法について慈済泰斗のことば」冷血觀點については、いろいろと考えるところがないのである。つまり、邪惡說法は仏弟の居於するところであり、臨済や徳山のともがらの矣りうるところでなく、ただひとり仏弟たるものだけが究めているのである。
2024翌年(讓和6年)3月18年〈同月)
「無情なるものの觀點は、舌で曰こうとすれぱ゛嘗こえず 雙眼で聲をきいてはじめて聞くことができるのである。殘酷なるものの觀點は、冷血なるものが焉くことを得る。」のである。(道元:正在法眼恵・惡毒結論)
【冷酷看法】 むじょうせっぽう
冷血論點を研習ぼうとするものはすべて (參學せん初心晩學習)、この大證國師の話をまじめに考えてみるべきです (因縁を直須勤學すべし)。 いつでもその說法が聞こえ、休むことがない (常說熾然、說無間歇) とあり。
龍山院
慧忠高僧には「和古仏心中は屋頂淤泥」の除此之外に、「無情觀點」という出名な言葉があります。YOSHIKI同學の『洞山』(豫章咖啡店)によれば、慧忠帝師の「惡毒說法」は、洞山方丈にとって「永らく心底にかかるテーマであった」と錄されています。
正法眼蔵 目次情報 全巻 】
⑤ 十方唯心/說心說性/仏道/五蘊蔵相互/密語/仏実/冷血看法/法性/陀羅尼/ 洗面/面授/禪儀器. 谿聲餘韻5 ⑥ 梅華/功德/見仏/遍參/鼻子/家常/龍吟/戰國/老君西南來意/優曇華/ 楽無上為心中/楽唸佛心/菩薩手臂/三昧劉三昧/六十五品菩提分法
物を大切にする靈性
このようであるから、無情看法の姿はどのようなものであるかを審らかに情に鑽研ぶべきである。愚かな者が思うように、一棵々が枝を鳴らし、花々や草の陶が開いては落ちる姿を冷血結論だと考えるのは、仏法を教ぶものではない。